熊野古道

 昨年の秋、私たちは世界遺産 “熊野三山” と “高野山” を巡り、紀伊地方の豊かな自然と信心深い人々に触れる小旅行に行きました。その時から「今度はぜひ、“熊野古道” を歩いてその歴史にも触れてみたい!」と、みんなで話し合っていました。
 “熊野古道” とは、紀伊半島南部にある “熊野三山” と伊勢(三重)・大阪・吉野(奈良)を結ぶ5つの古い街道の総称で、その一部が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。
 今回は、その「これぞ熊野古道!」と大人気の “伊勢路・馬越峠(まごせとうげ)” を歩き、そこから “天狗倉山(てんぐらさん522m)” の頂を目指すことにしました。

 念願の “熊野古道” を歩くということで、その前に歴史について少し学びました。
 紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。そうした日本古来の自然に対する信仰と中国から伝来した仏教が融合して、“吉野・大峰” “熊野三山” “高野山” の3つの「山岳霊場」と、そこに通じる「参詣道」が生まれました。その参詣道を通って全国から人々が訪れるようになり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を与えました。2004年7月には、そうした点が高く評価され、その一部が世界文化遺産に登録されました。世界遺産の中で “道” が登録されるのは、稀なことだそうです。

 私たちが歩く “伊勢路” は、“伊勢神宮” と “熊野三山” を結ぶ道で、“お伊勢参り” の旅人や “西国三十三か所めぐり” の巡礼たちがたどった道です。特に江戸時代以降に多くの人が訪れ、「伊勢へ七度、熊野へ三度」という言葉があるほど。これは、「伊勢参り・熊野参りは何度してもよい。信仰心は篤いほどよい」という意味で、かつて巡礼装束を身にまとった旅人たちがいくつもの険しい峠を越えて、あこがれの地“熊野”を目指したことがうかがえます。

 2月17日、まだ暗いうちに豊橋を出発し、8時15分、“熊野古道 伊勢路・馬越峠入口” に到着。いよいよ熊野古道歩きのスタート、胸が高鳴ります。
 登り口に立つと、整備された石畳の道がどこまでも伸びていて、「きれいね!」と感動の声が上がりました。ここから尾鷲に向かう道は、“伊勢路” の中でも石畳が一番美しいことで知られていますが、予想以上の美しさに期待が大きく膨らみます。自然に囲まれた石畳の風情を味わいながら、ゆるやかな坂をゆっくりと上ります。整然と敷き詰められた敷石は、大きく滑らかでうっすらと苔むし、一歩一歩踏みしめるごとに心が癒されていくのを感じました。

 とても歩きやすいことに感激したスタッフが、「誰がこの石畳を敷いてくれたのかしら?」と素朴な疑問を投げかけました。ちなみに、ここは日本でも有数の降雨量の多い地域だったために、紀州藩が舗装用として石畳を用いたとのこと。現在は、地域の保存会の方々と行政が協力して道を守り続けているそうです。

 道幅は紀州の殿様の駕籠に合わせてゆったりと取ってあり、その両脇には手入れの行き届いたヒノキやスギの美林が続きます。すらりと伸びた木々と端正な石畳が見事に調和して、まるで写真集の中に飛び込んだようです。この道を旅人や巡礼者たちが、それぞれの思いを胸にせっせと歩いていたかと思うと、何だか嬉しくなりました。
 出発から約1時間、“馬越峠” に到着。その昔、ここには峠越えをする人のための茶屋があり、明治の中頃まで多くの旅人や巡礼者をもてなしていたと言います。現在は、江戸末期の近江の国の俳人 “可涼園桃乙(かりょうえん とういつ)” の句碑が建っています。

 9時20分、5分ほど休憩し、今度は “天狗倉山” の山頂を目指します。先ほどの石畳とは打って変わり、足元の悪い急な坂道を登っていきます。途中ふと顔を上げると、目の前に大きな岩が現れ、その迫力にビックリ仰天。思わず「すごい!」と声が上がります。さらに登っていくと、もっと大きい岩がそそり立っていて、2度ビックリ! その巨大な岩に鉄の梯子が掛けられていて、岩の上が頂上です。慎重に梯子を登って、9時50分、“天狗倉山” の頂に立ちました。
 眼下には尾鷲港と尾鷲の町並み、キラキラと輝く雄大な熊野灘、遠くには雲がかかった大台ケ原も見えました。穏やかな海と山々の絶景が広がり、みんな大感激。うっとりと見とれ、「きれい!」を連発していました。岩の上に腰を下ろして、美しい景色を眺めながら早めの昼食をとりました。

10時40分、下山開始。“馬越峠” まで一気に下り、今度は登ってきた道とは反対の尾鷲方面へ向かいます。ここからまた石畳が続きますが、先ほどとは少し趣が変わって、敷石がやや小振りになり、日当たりが良いせいか苔が生えていませんでした。
 “馬越公園” と “馬越墓地” を抜け、12時、“尾鷲神社” に到着。思いがけず、満開の桜が出迎えてくれ、その鮮やかなピンク色に疲れが一気に吹き飛びました。念願の “熊野古道” の石畳は本当に美しく、熊野灘の絶景も堪能することができ、みんな大満足でした。

 登山が予定より早く終わったので少し足を延ばして、同じ世界遺産に登録されている “鬼が城” “七里御浜(しちりみはま)” “花の窟(いわや)神社” に立ち寄ることにしました。
 車で走ること約15分、“鬼が城” に到着。“鬼が城” は、熊野灘の荒波に削られた大小無数の海蝕洞が約1㎞続く凝灰岩の大岸壁です。いくつもの洞窟が階段状に並ぶ名勝地で、国の天然記念物にも指定されています。平安時代、“坂上田村麻呂” が鬼と恐れられた海賊 “多が丸” を征伐したことからこの名が付けられたのだとか。

 波や風に侵食された岩肌はとても衝撃的で、すぐそばに広がるコバルトブルーの海の美しさとはあまりにも対照的。小さな穴が無数にあいた岩肌は、ひどくただれた皮膚のようで痛々しく感じられました。スタッフの一人が「まるで骨粗しょう症の骨のよう」と一言。あまりのピッタリな表現に、みんな大きく頷きました。以前は、海岸線にそって遊歩道が整備され、もっと多くの奇岩を見ることができましたが、台風による崩落で今は通行止めになっていて、とても残念でした。でも初めて見る風景に、みんな「来てよかった」と大感激。

 そこから少し移動し、次は “七里御浜” に寄りました。熊野灘に面して “鬼ヶ城” から熊野川河口までゆるやかな弧を描き、20数km(約7里)にわたって美しい砂利の浜が続いています。浜から大きな “獅子巌(ししいわ)” が見え、「獅子というより、ゴリラみたいね」と言うスタッフに、爆笑の渦。

 そして最後は、神話の中に登場する “イザナミノミコト” が葬られたと言われる御陵 “花の窟神社” に行きました。“花の窟神社” は、日本書紀にも記されている日本最古の神社で、全国から多くの参拝者が訪れます。社殿はなく、熊野灘に面した高さ45メートルの巨岩が、ご神体として祀られています。このご神体と境内の隅にある松のご神木に大綱が渡され、そこに今まで見たこともない珍しい形をしたしめ縄が掛けられています。それは日本最古の神社にふさわしく「しめ縄の原型」とされ、年2回の掛替えが重要な神事になっているそうです。みんな、風にゆれるしめ縄をじっと見上げていました。

 今回は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を巡る旅を日帰りで楽しんできました。“熊野” の美しい自然と、少しですが昔の人々の思いに触れ、とても充実した一日でした。
 “熊野古道・伊勢路” はスニーカーでも十分歩けますから、皆さんもお出かけになってみてはいかがでしょうか。