小豆島

 猛暑の夏が過ぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになった10月中旬、二班に分かれて香川県の小豆島へ1泊2日の旅行に出かけました。

 小豆島は、瀬戸内海の東部にある島で日本のオリーブ栽培の発祥地として知られています。伝統産業の醤油やそうめんの生産が盛んなことでも有名です。今回の旅行は、名古屋駅からバスで姫路港を目指し、そこからフェリーで小豆島に渡り名所を巡りました。皆、初めて訪れる小豆島に期待が膨らみました。

 午後1時前に姫路港に到着。フェリー乗り場には、すでに乗船を待つ車が何台も留まっていました。目の前には穏やかな瀬戸内海が広がっていて、ワクワクしながら出航時間を待ちました。しばらくすると白いフェリーがゆっくりと港に入ってきました。

 午後1時35分、いよいよ出港の時間です。バスのままフェリーに乗り、ハッチが閉まるとバスを降りて、皆展望デッキに出ました。

 姫路港は徐々に遠ざかり、航路は波もなくフェリーは白い水しぶきをあげて順調に進んでいきます。これから1時間40分のクルーズです。心地よい太陽の光とさわやかな潮風を全身に浴びて、初めて見る瀬戸内海の景色に、皆、大感激!思い思いに客室やデッキからの眺めを堪能し、心まで癒されるような贅沢な時間を過ごしました。

 午後3時20分、小豆島の福田港に入港。最初に訪れたのは、醤油の醸造所が並ぶ ‟醤の郷(ひしおのさと)”です。明治時代には400軒もの醤油蔵が軒を連ねていたとか。今でも20軒ほどが、昔ながらの木桶仕込みで醤油をつくっています。その中の一軒の醸造所を訪ねました。芳ばしい醤油の香りが漂う蔵の中で、小豆島の醤油の歴史や醸造の話しを聞きました。

 ‟醤の郷”を後にして、宿泊するホテルへ向いました。ホテルのすぐ側には ‟エンジェルロード”あります。エンジェルロードは、干潮の時に現れる砂の道で、近くの小島まで歩いて渡ることができます。ホテルに着いたのは干潮にはまだ早い時間でしたが、潮が引き始めていて歩くことができました。夕日に浮かぶエンジェルロードを背景に、皆で写真を撮り、静かな瀬戸内の夕暮れを楽しみました。

 2日目も晴天に恵まれ、ホテルの窓からもう一度、朝のエンジェルロードを眺めてホテルを出発。この日は“オリーブ公園”と、‟日本三大渓谷美”の一つに数えられている ‟寒霞渓(かんかけい)”を訪れます。

 オリーブ公園は、道の駅にもなっていて、映画「魔女の宅急便」のロケ地になったことでも知られています。公園は瀬戸内海をのぞむ小高い丘の上にあって、そこに2000本ものオリーブが植えられ、緑色の実がビッシリとついていました。畑の一角に白いギリシャ風車が建っていました。この風車は、小豆島の姉妹島になっているギリシャのミロス島との友好の印として建てられたものです。真っ青な空に白い風車が映えて、その鮮やかなコントラストに、皆目を奪われました。

 一面のオリーブ畑と晴れ渡った空、眼下に広がる瀬戸内海ののどかな景色を眺めながら、ゆっくりと園内を散策しました。

 次に訪れた‟寒霞渓”は、小豆島の中ほどにある島の最高峰で、約1300万年前の火山活動によってできた渓谷です。ここは瀬戸内海国立公園を代表する景勝地で、さまざまな奇岩や四季折々の自然が美しいことで知られています。山頂へはロープウェイで登り、そこからの眺めを楽しみました。展望台から小豆島の入江や岬、海峡を挟んだ四国まで見渡すことができました。

 山頂からバスで福田港に向い、再びフェリーで姫路港に戻り岐路につきました。

 初めて訪れた小豆島で、瀬戸内海の明るい景色に包まれてゆったりと過ごし、新たなエネルギーを充電することができました。

 今回の旅も日常を離れ、さまざまな風物や自然に触れ、皆で感動を共有し、さらに絆を深めることができました。

京都・二条城

 少しずつ春の気配を感じるようになった3月6日、リフレッシュのために皆で京都を訪れました。今回は、“元離宮二条城”と“京都御苑”、“平安神宮”を巡りました。

 豊橋駅から新幹線に乗り、8時に京都駅に到着。中央出口の改札口を出るとすぐに大階段が屋上まで伸び、ガラス張りの吹き抜けの天井から光が射し込んでいました。まるで空港のようなモダンなデザインの駅ビルに皆、目を見張りました。中央出口には、タクシーやバス乗り場が集まっていて、そこからさまざまな観光名所へ向かうことができます。私たちは、市バスで ‟二条城”を目指しました。

 15分ほどバスに揺られて二条城の ‟東大手門前”に到着。この東大手門が二条城の正門で、すでに大勢の人たちで賑わっていました。

 二条城は、天皇が住む御所の守護と上洛した将軍の宿泊所として1603年、江戸幕府の開府とともに徳川家康によって造営されました。また、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明した場所としても有名です。

 明治から昭和の初めには、皇室の離宮として使われていたことで ‟元離宮二条城”と呼ばれるようになりました。その後京都市に下賜され、1994年(平成6年)には、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 東大手門から中に入ると、極彩色の彫刻で飾られた ‟唐門”が目に飛び込んできました。その豪華さに見とれながら門をくぐると、美しい庭園に ‟二の丸御殿”が建っていました。「御殿の中を見るのは初めて!」と皆、ワクワクしながら中に入りました。

 二の丸御殿は、江戸時代の代表的な書院造りの建物で、国宝に指定されています。6つの棟に分かれた建物の内部に「遠侍(とうざむらい)の間」「式台の間」「老中の間」「大広間」などが並び、廊下でつながっています。キュッキュッと鳴る ‟鴬張りの廊下”を踏みしめながら見てまわりました。天井や欄間・柱など、どこを見ても豪華な装飾が施され、それぞれの間の障壁画には、今にも動き出しそうな虎や満開の桜・大輪の牡丹・巨大な松などが、金色の華やかな背景の中に活き活きと描かれています。見るもの全てが、「これでもか!」と言わんばかりに徳川の権威を示しています。その迫力と絢爛さに皆、圧倒されました。

 大政奉還が発せられた大広間には、将軍や裃(かみしも)をつけた家臣たちの人形が当時を再現するように置かれていて、ここで日本の歴史が大きく動いたのかと思うと、感慨深いものがありました。

 城内の見学を終え、次に御殿の周りの二の丸庭園と本丸庭園を散策しました。本丸庭園の南側には天守台の石垣が残っていて、そこに登ると京都の街が一望できました。ここで少し休憩をとり、戦国時代を終わらせ平和な時代を築いた家康に思いを馳せました。260年続いた“徳川の平和”は“パクス・トクガワーナ”と呼ばれ、世界的にも高く評価されています。 

 二条城を後にして、街並みを眺めながら ‟京都御苑”まで歩きました。京都御苑は東西700m、南北1300mという広大な敷地の中に、歴代の天皇が住んだ御所が建っています。かつては御所を中心に宮家や公家たちの邸宅が立ち並んでいましたが、明治になって天皇が東京に移った後は公園として整備されました。広い苑内には松の古木が茂り、通路には白い砂利が一面に敷かれています。御所を囲む築地塀(ついじべい)に沿ってゆっくりと散策し、3月の初めとは思えない穏やかな陽を浴びながら昼食をとりました。残念なことに、この日は御所の見学の休止日になっていたため、中を見ることはできませんでした。そこで、少し足をのばして“平安神宮”に立ち寄ることにしました。

 平安神宮は明治28年、平安遷都1100年を記念し、幕末の戦乱で荒廃した街の復興を願って創建されました。社殿は、平安京の大内裏(だいだいり)を再現したもので、‟応天門”とともに華やかな印象を放っています。社殿の中央の ‟大極殿”の前には‟左近の桜・右近の橘”が植えられ、大極殿の裏には ‟神苑”が広がっています。神苑は池を中心に造られた日本庭園で、南・西・中・東の四つに分かれています。その中で最も広い ‟東神苑”の池には御所から移築した“橋殿(はしどの)”が架かっています。橋殿の欄干に設けられた腰かけに座って、悠々と泳ぐ鯉を眺めながら、「平安神宮に、こんなに静かな庭園があったなんて!」と感激。静かで優美な神苑に包まれて、久しぶりに歩いた疲れもいっぺんに吹き飛びました。

 平安神宮の散策を終え、市バスで京都駅まで移動し岐路につきました。

 いつの時代も中心にあった京都。今も残る寺社や古い街並みは、人気の観光スポットです。昔、修学旅行で訪れた時には、教科書にあった場所というだけで感激していました。今回は、戦国から江戸、そして近代への時代の転換期に重要な役割を果たした場所を巡り、改めて京都の歴史の奥深さを感じました。