京都・二条城

 少しずつ春の気配を感じるようになった3月6日、リフレッシュのために皆で京都を訪れました。今回は、“元離宮二条城”と“京都御苑”、“平安神宮”を巡りました。

 豊橋駅から新幹線に乗り、8時に京都駅に到着。中央出口の改札口を出るとすぐに大階段が屋上まで伸び、ガラス張りの吹き抜けの天井から光が射し込んでいました。まるで空港のようなモダンなデザインの駅ビルに皆、目を見張りました。中央出口には、タクシーやバス乗り場が集まっていて、そこからさまざまな観光名所へ向かうことができます。私たちは、市バスで ‟二条城”を目指しました。

 15分ほどバスに揺られて二条城の ‟東大手門前”に到着。この東大手門が二条城の正門で、すでに大勢の人たちで賑わっていました。

 二条城は、天皇が住む御所の守護と上洛した将軍の宿泊所として1603年、江戸幕府の開府とともに徳川家康によって造営されました。また、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明した場所としても有名です。

 明治から昭和の初めには、皇室の離宮として使われていたことで ‟元離宮二条城”と呼ばれるようになりました。その後京都市に下賜され、1994年(平成6年)には、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 東大手門から中に入ると、極彩色の彫刻で飾られた ‟唐門”が目に飛び込んできました。その豪華さに見とれながら門をくぐると、美しい庭園に ‟二の丸御殿”が建っていました。「御殿の中を見るのは初めて!」と皆、ワクワクしながら中に入りました。

 二の丸御殿は、江戸時代の代表的な書院造りの建物で、国宝に指定されています。6つの棟に分かれた建物の内部に「遠侍(とうざむらい)の間」「式台の間」「老中の間」「大広間」などが並び、廊下でつながっています。キュッキュッと鳴る ‟鴬張りの廊下”を踏みしめながら見てまわりました。天井や欄間・柱など、どこを見ても豪華な装飾が施され、それぞれの間の障壁画には、今にも動き出しそうな虎や満開の桜・大輪の牡丹・巨大な松などが、金色の華やかな背景の中に活き活きと描かれています。見るもの全てが、「これでもか!」と言わんばかりに徳川の権威を示しています。その迫力と絢爛さに皆、圧倒されました。

 大政奉還が発せられた大広間には、将軍や裃(かみしも)をつけた家臣たちの人形が当時を再現するように置かれていて、ここで日本の歴史が大きく動いたのかと思うと、感慨深いものがありました。

 城内の見学を終え、次に御殿の周りの二の丸庭園と本丸庭園を散策しました。本丸庭園の南側には天守台の石垣が残っていて、そこに登ると京都の街が一望できました。ここで少し休憩をとり、戦国時代を終わらせ平和な時代を築いた家康に思いを馳せました。260年続いた“徳川の平和”は“パクス・トクガワーナ”と呼ばれ、世界的にも高く評価されています。 

 二条城を後にして、街並みを眺めながら ‟京都御苑”まで歩きました。京都御苑は東西700m、南北1300mという広大な敷地の中に、歴代の天皇が住んだ御所が建っています。かつては御所を中心に宮家や公家たちの邸宅が立ち並んでいましたが、明治になって天皇が東京に移った後は公園として整備されました。広い苑内には松の古木が茂り、通路には白い砂利が一面に敷かれています。御所を囲む築地塀(ついじべい)に沿ってゆっくりと散策し、3月の初めとは思えない穏やかな陽を浴びながら昼食をとりました。残念なことに、この日は御所の見学の休止日になっていたため、中を見ることはできませんでした。そこで、少し足をのばして“平安神宮”に立ち寄ることにしました。

 平安神宮は明治28年、平安遷都1100年を記念し、幕末の戦乱で荒廃した街の復興を願って創建されました。社殿は、平安京の大内裏(だいだいり)を再現したもので、‟応天門”とともに華やかな印象を放っています。社殿の中央の ‟大極殿”の前には‟左近の桜・右近の橘”が植えられ、大極殿の裏には ‟神苑”が広がっています。神苑は池を中心に造られた日本庭園で、南・西・中・東の四つに分かれています。その中で最も広い ‟東神苑”の池には御所から移築した“橋殿(はしどの)”が架かっています。橋殿の欄干に設けられた腰かけに座って、悠々と泳ぐ鯉を眺めながら、「平安神宮に、こんなに静かな庭園があったなんて!」と感激。静かで優美な神苑に包まれて、久しぶりに歩いた疲れもいっぺんに吹き飛びました。

 平安神宮の散策を終え、市バスで京都駅まで移動し岐路につきました。

 いつの時代も中心にあった京都。今も残る寺社や古い街並みは、人気の観光スポットです。昔、修学旅行で訪れた時には、教科書にあった場所というだけで感激していました。今回は、戦国から江戸、そして近代への時代の転換期に重要な役割を果たした場所を巡り、改めて京都の歴史の奥深さを感じました。