御嶽山が一瞬にして灰の山に!

 9月27日午前11時52分、何の前ぶれもなく突如 “御嶽山” が噴火し、頂上付近にいた多くの登山者が犠牲になりました。御嶽山は古くから信仰の山として知られ、「木曽のおんたけさん」の呼び名で人々から愛されてきました。長い裾野を四方に延ばしゆったりとそびえる姿と紅葉の美しさには定評があり、登山者にとっても大人気の山です。
  その日はちょうど紅葉が見頃の時期で、しかも晴天の土曜日の昼時とあって多数の犠牲者が出てしまいました。「もし噴火が夜だったら、もしこの時期でなかったら、これほどの惨事にはならなかっただろうに」  誰もがそう考えたのではないでしょうか。
  私たちも、“御嶽山” に登ったことがあるだけに本当に驚きで、繰り返し放映される凄まじい爆発の映像と、被災者が語る恐怖の体験にくぎ付けになりました。

 私たちが “御嶽山” に登ったのは5年前の9月1日のこと。紅葉にはまだ少し早く、主峰“剣ヶ峰(3067m)” の南西に広がる地獄谷から硫黄の匂いが漂ってきたことを思い出します。途中、白装束をまといホラ貝を吹く人を先頭に「六根清浄(ろっこんしょうじょう)!」と唱えながら降りてくる信者の一行とすれ違い、テレビや写真でしか見たことのない珍しい光景に興味津々でした。

 スタートしてから約3時間半で “剣ヶ峰” に到着すると、そこには御嶽神社の奥社がありました。山頂にしてはやや広い境内に、仏像をはじめさまざまなモニュメントがたくさん並んでいて、いかにも庶民の信仰の山といった風景。頂からの大パノラマは見事で、眼下に見える日本最高所の湖 “二ノ池” のコバルトブルーがとても神秘的でした。
 1~2年の間に、今度は別のルートから御嶽山に登ろうと計画していた矢先の噴火。山頂の様子は以前とは一変し、灰色一色に変わってしまいました。

 噴火以来連日、自衛隊・警察・消防による捜索の様子が報道されました。3000mを超す高山、しかも有害な硫化水素が発生する危険な場所での救助活動は、どんなにか困難を極めたことでしょう。特に自衛隊のヘリコプターによる救助活動は、墜落の危険性が非常に高く、高度な技術が求められます。外国のメディアが、自衛隊の神がかり的なヘリ操縦技術と、危険を顧みない懸命な救助・捜索活動を絶賛していました。一方、日本では一部の人から、集団的自衛権にからめて「機関砲を備えている装甲車が、なぜ必要なのか」といった声が上がっていました。

 連日続けられた救助活動を、私たちは見守ることしかできませんでしたが、火山灰と格闘しながらの捜索は想像を絶する過酷なものだったに違いありません。それでもなお、「一人でも多くの人を救いたい!」「全員を家族の元に返してあげたい!」と、命がけで捜索活動に当たった自衛隊・警察・消防の方々の “利他愛と犠牲精神” には、本当に頭が下がりました。

 10月16日、今年の捜索は打ち切られ、噴火による死亡者は57名、行方不明者6名、負傷者69名と “戦後最悪の噴火事故” となってしまいました。
 犠牲になられた方々には、心から深く同情いたします。同じ山を愛する者として、とても他人事とは思えません。私たちはこれまで、幸いなことに大した事故やケガもなく、いくつもの山に登ることができました。しかし今回の噴火で改めて 「登山に100%の安全はない。自然を相手にしている以上、何が起こるか分からない」ということを実感しました。
 亡くなられた方や行方不明の方のご家族の心情を思うと、胸が痛みます。突然、愛する家族を失った哀しみは、そう簡単に癒えるものではありません。しかし、私たちは死後の世界(霊界)があることを信じていますので、今回の惨事を別の視点から捉えることができます。
 多くの人は、亡くなられた方々に対して「本当にお気の毒」と考えますが、私たちはそうした方々に同情しつつも、死を悲劇・不幸とは思っていません。それは、私たちが霊界の存在を信じ、その世界はこの地上とは比べものにならないほど素晴らしい所であると考えているからです。亡くなられた方々も、今頃は重い肉体から解放され、光輝く世界(霊界)で新しい生活を始めておられることでしょう。

 先日、私たちはついに念願の “北岳(3193m)・間ノ岳(3189m)” への登頂を果たし、これでやっと、日本で1位から5位までの高峰を制覇することができました。今回の登山は、さすが2位と3位の山だけあって想像以上にハードなものでしたが、山頂の大展望はかつてないほどのスケールで、心の底から感動しました。富士山・仙丈ケ岳・甲斐駒ケ岳・南アルプス・中央アルプス・北アルプスなど、そうそうたる山々の姿を、しっかりと心に焼き付けました。その中で真っ白な噴煙を上げている “御嶽山” を指差して、みんなじっと見つめていました。

 登山には、常に危険がともないます。一歩間違えたら大惨事という、目がくらみそうな危険な箇所も数多くありますから、一瞬たりとも気が抜けません。しかも今回のような噴火事故が発生すると、「どうしてそこまでして登るの?」と思う方がいらっしゃるのではないでしょうか。実は、私たちスタッフの中でも半数以上の者が、登山を始める前はそう思っていました。しかし今では、みんな登山が大好きです。体はくたくたで足が棒のようになっても、大自然の霊気に包まれることで心がリフレッシュし  「また明日から、がんばろう!」と力が湧いてきます。そしてまた、登りたくなるのです。

 登山は毎回、私たちに大きな感動と喜びを与えてくれます。辛さに耐えて一歩一歩登った末に眺める頂上からの景色は、それまでの苦労を一気に吹き飛ばしてくれます。大自然が織りなす大絶景を目の当たりにすると、偉大なる神の力を実感することができます。登りもたいへんですが、下りはそれ以上に危険がともなうため、とても神経を使います。足元に注意しながら慎重に下り、やっと登山口にたどり着いたときの安堵感と達成感は、登山でしか味わうことができません。

 登山を通して、私たちの団結力はさらに高まりました。そして、「みんなと一緒に山に登りたい!」との思いで日頃から体を鍛えているおかげで、健康と若さを保つことができています。私たちに多くのものをもたらしてくれる“登山”  これからもみんなで力を合わせて、できるかぎり長く続けていきたいと思っています。