グレードアップしたフレンド登山

 2011年も残すところあとわずかとなりました。あっという間に一年がすぎてしまい、まさに「光陰矢のごとし」を実感する日々です。
  今年の“スタッフだより”は登山の話題からスタートしましたが、私たちが登山を始めてからもう5年になります。その間に登った山は、かなりの数に上っています。私たちにとって登山は、最高のリフレッシュ・最良の健康法、さらに心身の鍛錬と良いことづくめの共通の趣味です。始めた頃は、体力不足から「本当に続けていけるかしら」と心配した者もいましたが、今では誰もが「思いきってチャレンジして本当によかった!」と感じています。
今回は、この一年に私たちが登った山々と“奈良”への一日旅行を簡単に紹介して、今年を締めくくりたいと思います。

 今年の初登山は、山中湖畔を出発し、真っ白な雪をかぶった雄大な富士山を存分に堪能した登山でした。“鉄砲木の頭”から見た富士山の雄姿となだらかに広がる裾野、そこに空の青さを映し出している山中湖がすっぽりと収まっていて、その絶景は今でもしっかりと目に焼きついています。

 雪にはほとんど縁のない私たちにとって、雪はあこがれの一つ。「冬はやっぱり一面に積もった雪の中を歩きたい」 と、“富士見台高原”に行きました。ロープウェイとリフトを乗り継いで到着した登山口は、まばゆいばかりの白銀の世界。そこは人気の高いスキー場で、私たちは早速“スノーシュー”を借りました。いつものアイゼンとは違い、スノーシューは雪の上を滑るようにして歩きます。ほとんどのスタッフは初体験  慣れないスノーシューにもたもたしながらも楽しいものでした。深雪の道はいつもの2~3倍もの体力を使い、雪国の人々の苦労を少し感じることができました。

 登山靴をスニーカーに履き替え、「平城京遷都1300年」に沸く“奈良”を早足でめぐりました。“奈良”へ行くのは、スタッフのほとんどが中学・高校の修学旅行以来、実に数十年ぶり。東大寺からスタートし若草山・春日大社・興福寺・平城京跡・唐招提寺・薬師寺の順に見学しました。
 歴史の重さを感じさせるお寺や、人々の願いが込められた仏像を見ては“奈良時代”に思いを馳せ、一日たっぷりと古都の歴史を学びました。登山とはまた違う形でリフレッシュしました。機会があれば、ぜひまた行きたいと思っています。

 “乗鞍岳”は標高3026m山は一面の銀世界。スキーやスノボーを楽しんでいる大勢の人たちを横目で見ながら、私たちはアイゼンをつけて一歩一歩雪を踏みしめ、慎重に大雪渓を登りました。頂上は360度の大パノラマ  八ヶ岳連峰・中央アルプス・富士山などが圧倒的なスケールで迫ってきました。1回の往復でもクタクタなのに、スキーヤーたちは3~4回も往復するのだとか……、そのタフさに驚かされました。

 1泊2日の日程で“八ヶ岳”に登りました。といっても八ヶ岳という名前の山があるわけではなく、長野県と山梨県にまたがる山々を総称して“八ヶ岳”といいます。“八ヶ岳”は長いハシゴとクサリの急登が続くため、万全を期して今回は3つのグループに分かれ、それぞれ日にちをずらして登りました。
 覚悟はしていたものの、ハシゴとクサリの連続は想像以上にきつく、さらに容赦なく照りつける強い日差しに体力を奪われ、励まし合いながら必死で登りました。やっと着いた山小屋“赤岳天望荘”では、ここならではの、一度に10人以上は楽に入れるほどの大きな“五右衛門風呂”に浸かり、疲れた体を癒すことができました。
 夏の八ヶ岳は高山植物の宝庫  可憐な“コマクサ”をはじめたくさんの可愛らしい花々に出会いました。

 猛威を振るった台風15号が去ったばかりの9月下旬、7月に続き1泊2日の日程で、今度は全員揃って“パノラマ銀座”  北アルプス屈指の展望コースを縦走しました。八ヶ岳のようにハシゴやクサリこそありませんが、それ以上に険しい岩場の連続。両手で岩にしがみつくようにして登りました。長く辛い坂を登りきった瞬間、目に飛び込んできたのは山小屋の赤いトタン屋根と、その背後から覆いかぶさるようにそびえるダイナミックな“槍ヶ岳”でした。その唐突さとあまりの見事さに、みんなが「凄い!」と絶叫せずにはいられませんでした。その凛々しい姿を前にして、「来年は絶対に“槍ヶ岳”に挑戦するぞ!」と、誓い合いました。
 1日目は5時間、2日目は9時間を超えるというこれまでにないハードな登山で、最後はもうヘトヘトでしたが、大きな自信につながりました。

  “スタッフだより”で紹介しましたが、“浅間山”は世界有数の“活火山”。そのため“浅間山本峰”には登ることができないので、すぐ手前の“前掛山”に登りました。(※ 現在では、「浅間山登山」イコール「前掛け山登山」となっています)頂上からの眺めは本当に見事なものでした。白煙たなびく浅間山本峰・大きくえぐられた噴火の跡・目の前に広がる外輪山の山並と草原……、このときの感動は今でも忘れられません。

 箱根といえば有名な観光地。この日も紅葉を見にたくさんの人が訪れ、賑わっていました。硫黄の匂いが漂う“大涌谷”を出発。時々覗く、薄っすらと雪をかぶった富士山を眺めては「何度見ても富士山はいいね~」と話しながら、2時間半ほどで“駒ヶ岳”に到着しました。そこは明るい草原が広がっていて、富士山をはじめ箱根の山々や南アルプス・駿河湾~伊豆半島、麓にはキラキラと輝く“芦ノ湖”が一望できるビュースポットでした。冷たい風に吹かれながら、今年最後の登山にふさわしい最高の景色を満喫しました。

 今年の登山を振り返ると、八ヶ岳や常念岳のような険しい山から、雪山や活火山・富士山を眺めながらの楽なコースまで、バラエティーに富んだ一年でした。四季折々の風景はどれも、私たちに大きなエネルギーと感動を与えてくれました。
 私たちの登山もますますグレードアップし、以前ではとても考えられない険しい山にも挑戦してみたいと思えるようになりました。「来年はどんな山と絶景に出会えるか?」今から、みんな楽しみにしています。

 実は、常念岳登山の後、ちょっとしたエピソードがありました。それは、ほとんどのスタッフが思わず「アイタタ……」と声をあげてしまうほどの“筋肉痛”の中、ただ一人「少し痛かったけど、すぐによくなったわ」とケロっとしていたのは、なんと最年長(70歳)のMさんだったのです。これにはスタッフの誰もがビックリ!  それもそのはず、Mさんは2年ほど前に膝を痛め、「登山にはもう行けないかもしれない」と、思い詰めた時期があったからです。

 Mさんの話によると、それでも登山を諦めきれず、一人でひそかに筋力トレーニングを積んでいたというのです。それは週に2回、自宅から少し離れた小高い公園まで歩いて行き、63段の石段と坂道のある公園内をぐるぐると10~15周するというもの。時間にして約1時間半。「登ったり下ったりの繰り返しがきっと登山の訓練になるはず!」と、淡々と続けていたとか。すると次第に足に筋力がついてきて、膝の痛みが解消したとのことでした。そして今年は嬉しいことに、全部の登山に参加し、しかも「筋肉痛なし」という快挙を成し遂げたのです。 
 「年とともに筋力がおとろえていくのは仕方のないこと」と思っていたスタッフも、Mさんの変貌ぶりを目の当たりにして、何歳からでも訓練次第で筋力は復活すること、決して「年だから」と諦めてはいけないことを改めて教えられました。そしてMさんを見習って、日頃のトレーニングを怠らないようにしようと決心しました。

 登山を通して、私たちは「自然の偉大さ」を肌で感じていますが、3月11日の“東日本大震災”では死者・行方不明者が1万9千人を越え、かつて経験したことのないその“大惨事”に、「自然の脅威」についても深く考えさせられました。
 最近ではやっと、復興に向けて少しずつ動き出しているという明るいニュースも聞かれるようになりましたが、厳しい冬を迎え多くの人々が不自由な生活を強いられている現状を考えると、本当に胸が痛みます。また、愛する家族や家財を突然失った悲しみや絶望感は、そう簡単には癒されるものではないと思います。
 しかし私たちは、今回の震災は甚大な被害をもたらしましたが、人間にとって一番大切な「利他愛の精神・奉仕精神」を多くの日本人に目覚めさせるきっかけになったものと思っています。多くの人々が募金をしたり、ボランティア活動に参加するなど、全国的な規模で被災した人たちを支援する動きが起こりました。また「将来は困っている人のために役に立ちたい」という若者や、「自衛隊員になって人を助けたい」と願う東北の子供たちが増えたことは本当に頼もしく、この震災が “日本人の魂” にもたらしたものは、物質では計り知れない大きな価値があることを感じています。
 震災を機に経済が冷え込み、これからますます厳しい状況になってくるかもしれません。しかしそれも、日本人が物質的なものへの傾斜を断ち切り、精神的に向上して、本当の幸せを手にするために必要な試練ではないかと思われます。敗戦後、日本がどん底から奇跡的ともいえる復興を遂げたように、今回もさまざまな困難を乗り越え、日本人の間に意識変革が起こり、いずれきっと“新しい精神国家”へと生まれ変わる日がくるものと信じています。私たちもこの苦難に耐え、少しでも人々の役に立てるように、自分たちのできる精いっぱいの努力をしていきたいと考えています。

 皆さん方にとって、この一年はどんな年でしたでしょうか。

 年の瀬を迎え、あわただしい日々が続いていることと思います。お体に気をつけて、良いお年をお迎えくださいませ。
 今も苦しんでおられる被災者の方々には、一日も早く心の安らぎが得られる日が訪れますよう、心よりお祈りいたしております。