『老いの才覚』を読んで

 節電に沸いた夏がようやく過ぎ、少しずつ秋めいてきました。
 私たちは毎週ミーティングを行っていますが、そこでは各係からの報告に加え、最近の事件やおもしろい話、時にはスタッフが感動した本などを紹介することもあります。そこで今回は、話題となった曽野綾子さんの『老いの才覚』を読んで感じたことを少し述べてみたいと思います。

 この本は今年の5月には、何と100万部を突破したほどのベストセラーですから、皆さんの中にもすでに読まれた方がいらっしゃるのではないでしょうか。
 曽野綾子さんといえば、新聞や雑誌などのコラムで正論を臆せず述べることで有名です。この本も彼女流の歯切れのよい口調で、最近急増している“才覚のない老人”をバッサリと切り、そうならないための具体的なアドバイスがたくさん盛り込まれています。おそらく読んだ人の中には、「そうそう」と納得した方、「耳が痛い」と感じた方、また「こんなふうにはとても生きられない」と思った方など、さまざまいらしたのではないかと思います。私たちはといえば、「さすが曽野綾子さん、辛口ながら筋の通った内容にはどれも納得!」と大絶賛です。日常に即した話が多いのでとても分かりやすく、あっという間に読めてしまいます。しかしじっくりと読むと、1つ1つの内容は実に深く、キリスト教的な価値観や死生観が彼女の毅然とした生き方の原点になっていることがよく伝わってきます。

 この本がベストセラーになったことからもわかるように、多くの人々は少なからず“老いる”ことに不安を抱いています。この本はそんな不安を“たくましく生き抜く勇気”に変え、「老いたらこうありたい」という1つの方向を示してくれる指南書と言えるのではないでしょうか。これから熟年に向かう世代の方々には、ぜひお薦めの1冊です。

 最近では一人暮らしの老人が増え、“孤独死”というのも珍しくない言葉となってしまいました。また老人の自殺者も非常に多く、60代と70代を合わせると自殺者全体の約3割を占めるといいます。長年頑張って生きてきたのに、最後に自殺を選択してしまう老人が多いのは、本当に残念なことです。肉体の老いや病気・親しい人との死別・自分の存在感のなさなど理由はさまざまあると思いますが、一口で言えば“心の支え”を失ってしまった結果ではないでしょうか。人間は誰でも、一人はさびしいものですし、心の支えがなければ生きていけません。その支えが信仰心や家族の愛だと思います。

 日本は世界でも稀にみる無宗教の国といわれるように、大半の日本人は信仰を持っていません。敗戦によってそれまでの価値観が一変し、人々は物質的な豊かさを追い求めて忙しく生きてきました。神社仏閣や先祖のお墓参りには行っても、それが心の支えにまではなっていないようです。

 昔は家族みんなで暮らすのが当たり前で、老人にもできる仕事がちゃんとありました。親戚縁者や近所付き合いも密接でしたから、老人は周りの人々に支えられて生きていました。しかし今では核家族化によって、一人身の老人や子供と暮らせない老人が増え、近所付き合いも無干渉がよしとされています。昔に比べると、孤独感を埋めてくれるものが少なくなってしまいました。

 この本の中に次のような箇所があります。  「他人に話し相手をしてもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりすることで、孤独を解決しようとする人がいます。しかしそれは、根本的な解決にはならない。根本は、あくまでも自分で自分を救済するしかないと思います」

 私たちも本当にそう思います。そしてそれは“信仰心”しかないと考えています。信仰を持つとは  「人間は、目に見えない大きな力によって愛され生かされている」ということを知り、その力にすがり委ねることだと思います。その大きな力を人は“自然の摂理”とか“神”と言いますが、それがさびしい時・苦しい時の一番の支えになると、私たちは信じています。

 この本はまず、老人が“自立・自律”することの大切さを説いています。戦後の思想教育と衣食住に関する基本的な苦悩がなくなったために、自立できない老人・人に頼りたがる老人が増えたと述べています。確かに、豊かさの中で人々はわがままになり、いつの間にか老人のあいだにも「親切にされて当然」という風潮が広がってしまいました。最近ではよく「配偶者が○○してくれない」とか、「子供が○○してくれない」と愚痴をこぼす老人を見かけます。こう言うと、「年を取ったのだから人に頼って何が悪いの?」と思う方もいることでしょう。
 しかし人間は、人に頼ってばかりでは決して幸せにはなれません。他人に期待して頼っても思い通りにならないことが多く、不満だけが募ってきます。それではとても心の安らぎを得ることはできません。

 さらにこの本の中には、「受けるより、与える側に立つと幸せになる」という言葉があります。どんなに年をとっても、たとえ些細なことでも“与えること”ができれば喜びとなり、生きる希望が湧いてきます。つまり幸せの秘訣は、“自立・自律”と“与えること”  この2つがあって“才覚のある老人”というわけです。こうした人は「他人に頼らず、少しでも人の役に立ちたい」という目標を持って生きていますから、いくつになっても若々しく凛としています。誰の目にも、はつらつとした“魅力的な老人”として映ります。

 震災後、とても頼もしい動きがありました。皆さんもご存知のように“福島原発行動隊”です。原発事故の収束に向けて、「若い人たちのために率先して行動したい!」と、60歳以上の原発技術者・技能者のOBが立ち上がりました。隊員はすでに500人を超えていると言います。「自分を犠牲にして社会のために貢献したい」という姿勢は、本当に尊いものです。これがきっかけとなり、こうした動きが全国に広がってもっと老人が気軽にボランティア活動に参加でき、与える側に立てるようになればどんなにいいでしょうか。今回の震災が“老人のためのボランティア元年”となることを心から願っています。

 「2010年版 高齢社会白書」によると、2055年には国民2.5人に1人が65歳以上となり、日本は「世界のどの国も経験したことのない高齢社会になる」と言われています。44年後にはどこもかしこも老人ばかり、しかも自立できない老人がもっと増えているかと思うと、日本の未来が危ぶまれます。曽野綾子さんは、そうした日本にならないために警鐘を鳴らしたのではないでしょうか。

 大切なことはまず“自立・自律”、そして“与えること”だと思いますが、これはなにも老人だけが必要というものではなく、誰にでも当てはまることだと思います。多くの人々は、老後に備えて少しでもお金に困らないようにと経済面だけを気にしています。しかし私たちはお金だけではなく、心を磨く努力をすることが老いへの一番の備えではないかと考えます。年老いてもしっかりと自立し、人々への奉仕の中に喜びを見いだして歩んでいる人は、本当に魅力的です。私たちも、人生の集大成ともいえる老後を喜びをもって生きられるように日々努力していきたいと思います。