スポーツの正しいあり方について

 日本中が熱気にわいたリオデジャネイロ五輪・パラリンピックが閉幕しました。閉会式では、小池都知事がパラリンピック旗を受け取り、たおやかに振っていました。その姿に多くの日本人が、「次は、いよいよ東京オリンピック・パラリンピックだ!」と思われたのではないでしょうか。

 今回のリオ五輪・パラリンピックでは、日本選手が65個のメダルを獲得し、熱戦が終わるたびに選手たちの歓喜の声や悔し涙が放映されました。皆さんの中にも、夜を徹して応援したという方がいらしたのではないかと思います。私たちも、日本に銀メダルをもたらした陸上男子400mリレーでは、思わず「ヤッター!」と歓声を上げ、選手たちに拍手を送りました。
 しかしその一方で、オリンピックやプロスポーツを観るたびに思うことがあります。それは「スポーツの正しいあり方」についてです。今回はそれについて、私たちの考えを少し述べてみたいと思います。 

 これまで何度も述べてきましたが、人間が健康を手にするためには「心・食・運動・休養」の4つの柱をすべて同時に高めるように努力することが必要です。どれ一つ欠けても、健康を維持することはできません。
 運動は肉体だけでなく、心の健康にも大きな影響を及ぼします。適度な運動によって質のよい睡眠をとることができ、ストレス解消にも役立ちます。正しい食事を摂ることは大切ですが、食事だけに気を配っていても、運動をしない人は健康を手にすることはできません。
 とは言え、度を超した激しい運動は、むしろ健康にとってマイナスです。運動は、心と体を健やかに保つためにするものです。重要なのは「適度な運動」を続けることです。少し負荷がかかるくらいの運動を取り入れれば、健康を増進し、老化を遅らせることができます。
 ところがオリンピック選手やプロスポーツ選手は、1日10時間を超える練習を続けたり、肉体の限界まで自分を追い込むといった、過酷な運動をしています。そのため怪我をしていない人の方が稀で、中には治療を受けながらトレーニングに励んだり、痛み止めの注射を打って試合に臨むような選手もいます。体を壊すようなトレーニングは、明らかに間違いです。
 「若い時期に激しい運動をしてきた選手の寿命は短い」という研究報告もありますから、そうした選手を見るたびに私たちは、ついつい彼らの将来を案じてしまいます。

 今回のオリンピックでは、開幕前にロシアが国家ぐるみのドーピングをしていたことが発覚し、世界中に衝撃を与えました。選手の健康や将来よりも、オリンピックを国威を高める道具として利用し、一つでも多くメダルを獲得しようとする“勝利至上主義”に陥っている実態が浮き彫りにされました。
 私たちは、こうした健康を無視したスポーツのあり方は正しくないと考えています。選手の中には、厳しい訓練に耐え抜くことで、強い精神力を身につけ、成長する人もいるでしょう。また、選手たちの鍛え抜かれた技が、人々に感動や勇気を与えることも事実です。

 しかし、スポーツは体を壊してまでやるものではありません。ましてや、国家や人間のエゴのために利用すべきものではないのです。私たちは人間の“真の健康”を考えると、そうしたプロスポーツやオリンピックのあり方を手放しに称賛することはできません。人類の霊性が進歩するにともない、現在のスポーツのあり方も徐々に変わっていくようになると思っています。

 リオ五輪・パラリンピックの開会式と閉会式の演出は、華々しく見事なものでした。しかし、世界に目を向けると難民や貧困者があふれ、命をつなぐ食べ物すら得られずに餓死している人が大勢いるのです。そうした人々のことを思うと、巨額な資金を投じて行うオリンピック・パラリンピックにどれほどの価値があるのか、疑問を抱かずにはいられません。

 2020年の東京五輪に向けてカウントダウンが始まり、東京五輪では金メダル数を世界第3位(今回は第6位)にするという高い目標が掲げられています。しかし私たちは、金メダルの数を誇るような国ではなく、“健全なスポーツ国家”を目指すべきではないかと考えます。すべての日本人が、健康のために日常的にスポーツを楽しみ、豊かな人間性を育むことができる国家になっていってほしいと願っています。