ソチ冬季オリンピックに見る日本の伝統

 2月23日、17日間の熱闘が行われたソチ五輪も、無事閉幕しました。テレビのニュースやワイドショーでは連日、オリンピック一色。メダル争いに日本中が沸きました。
 皆さんは、どの選手が印象的でしたでしょうか。フィギュアスケート男子初の金メダルに輝いた羽生選手、スノーボード・ハーフパイプでは15歳という若さで銀メダルを獲得した平野選手、メダルに手が届かなくても最高の演技で終わった浅田選手、病気やけがで苦しんでいる仲間を支え団結力で銅メダルを勝ち取ったスキージャンプ団体など、数々の感動シーンや息をのむような素晴らしい演技に、私たちの目も釘づけになりました。
 その中でも、ひときわ人々の胸を熱くしたのは、スキージャンプ団体の“チームの絆”でした。チームを支えた葛西選手の「後輩たちにメダルを取らせてあげたかった。個人で取った銀よりも格別に嬉しかった」という言葉には、自分のことよりも仲間を最優先した熱い思いが込められていました。

 今回のソチ五輪では、ベテラン選手だけでなく若い選手の活躍も光りました。特に羽生選手の会見には、いつも被災地の方々への思いがあふれていて、とても19歳とは思えない受け答えに感心しました。

 羽生選手は、皆さんもご存知のように東日本大震災の被災者の一人です。自宅が被災し、避難所生活を経験しました。練習するスケートリンクも閉鎖され、一時はスケートをやめることも考えたとか。しかし、自分のスケートがみんなを喜ばせることを知り、「皆さんにスケートをやらせてもらっている」という心境に至ったのだと言います。そうした過酷な経験を通して、周りの人々への思いやりや最後まで諦めない強い精神力が培われ、金メダルへとつながりました。

 苦難は誰にとってもイヤなものですが、羽生選手の成長ぶりを見ると、やはり “苦難は人間を成長させるチャンスである”と改めて思います。人間的成長は金メダルよりも、もっと価値のある“魂の宝”だと思っています。

 羽生選手にかぎらず、会見ではどの選手も自分の力を自慢することなく、支えてくれた人々への感謝や仲間の絆を述べていました。「応援してくれた地元の人々のおかげ」「先輩たちの苦労のおかげ」「仲間で力を合わせてここまで来ることができた」と、ごく自然に語っている謙虚な姿勢は、多くの人々に清々しさを与えました。

 考えてみれば、オリンピックに選ばれるほどの選手なのですから、血のにじむような努力を何年も積み重ねてきたに違いありません。そうした努力を誇示しても不思議ではありませんが、その素振りはみじんも見られませんでした。日本選手の謙虚な態度に  「若きアスリートが口々に周囲や先輩への感謝を語る。その感謝の連鎖を、“日本の伝統”と呼んでもいいのではないか」という記事が新聞に載っていました。

 私たちも、本当にそう思います。日本選手の他者への思いやりや感謝の心、集団性を重んじる精神、またそれに共鳴する国民の感覚は、やはり日本人の中に自然な形で根付いている“日本の精神”だと思います。そしてこれこそ、日本が世界に誇れる“日本の伝統”と言えるのではないでしょうか。

 日本人は元来、和を重んじ、個人の主張よりも全体のため、公(おおやけ)のための自己犠牲を美徳としてきました。それが現代では、多くの人々が  「日本人も欧米人のように自分の意見や利益をはっきりと主張すべきである」と考えるようになってきました。私たちは、こうした考え方を必ずしも良いこととは考えていません。全体の利益のためならいいですが、往々にして自分の利益だけを優先した“エゴ的自己主張”が横行し、それを良しとしてしまうからです。

 私たちは、個人の主張よりも相手への思いやりや、全体への協力・ 奉仕を優先することが尊いあり方であると考えています。そして、そうした利他的な精神こそ、日本人の中に受け継がれている美徳であり、世界の人々の心を動かしていく力であると考えます。

 その証拠に、日本はいつも世界の世論調査で最も好きな国の一つに挙げられています。それは、日本人がエゴむき出しの自己主張や利益追求を恥ずかしいものという感性を持ち、絶えず周りの人々へ気を配り、全体の調和を最優先して求めているからです。そうした利他的な人間性が、世界の人々に感動を与えているものと思います。

 今回のソチ五輪は日本選手の素晴らしい姿勢を通して、多くの人々が日本人の持つ優れた精神性を再確認することになった、良いきっかけであったのではないかと思います。