福島第一原発事故

 東日本大震災は津波と同時に“原発事故”という二重の災害をもたらしました。当初は、事故の内容を注意深く聞いていた国民の多くも、今では2転3転と変わる情報に“呆れ気味”というか、「何を信じていいのか分からない」と思っているのではないでしょうか。想定外の事態とはいえ、東電と菅内閣のあまりの対応の悪さと、政治家たちの不甲斐なさが浮き彫りにされました。

 しかし今回の事故は日本だけでなく、原発を使用している他国の人々も  「原発に100%の安全はない。原発を持つからには二重三重の安全対策と、常に危険がともなうという心構えが必要である」という大きな教訓を学ぶことになりました。今も避難を強いられている方々の心痛を思うと本当に胸が痛みますが、何不自由なく生活している日本人にとって、改めて“電気”を見直す良いきっかけにもなりました。

 3ヶ月が過ぎた今でも、毎日のように福島周辺の放射線量が報じられ、健康に影響のない数値について医学関係者や科学者などがさまざまな意見を述べています。多くの人々が不安を抱えるなか、先日文部科学省が福島県内の学校で児童や生徒が浴びる放射線量について「年間1㍉シーベルト以下を目指す」との見解を示しました。より低い数値に設定した方が安全であり、後々都合がいいという思惑があるのでしょうが、かえって人々の恐怖心を煽っているようにも感じられます。
 今回はこの「放射線の健康被害」について、私たちの考えを少し述べてみたいと思います。

 大半の人々は、放射性物質から発生する放射線を浴びると白血病や甲状腺ガンになるのではないかと心配しています。しかし発ガンは、一度に大量の放射線を浴びた場合の可能性であり、今回の事故で言えば現場で復旧作業をしている作業員の方々に限られます。周辺地域で観測されているような低い放射線量については、健康にどのくらいの影響を及ぼすのか、実際はわかっていません。

 ICRP (国際放射線防護委員会) では  「累積線量が100㍉シーベルトを超えるとガンになる確率が0.5%増える」と説明し、「健康に影響が認められない被曝線量は年間100㍉シーベルト以下」と定めています。つまり低レベルの放射線量については、まったくわからないということなのです。明確な疫学調査やデータがないために見解もさまざま  「少しでも避けた方がよい」 と言う医師もいれば、放射線医学の権威である中村仁信氏のように「低レベルの放射線なら継続的に被曝しても健康に害はない。むしろ健康によい」とまで断言している医師もいます。また先日の産経新聞では、東大医学部付属病院の中川氏が被曝による発ガンリスクについて  「日本人は2人に1人がガンになる世界一のガン大国。喫煙や飲酒の方がよほど危険だ」と、過度の心配をする必要がないことを述べています。

 私たちも中川氏と同様、低レベルの放射線量であればそれほど心配する必要はないと考えています。それより喫煙や肉食中心の欧米食やストレスの方が、よほど発ガンリスクが高いことは多くの研究によって明らかにされています。“喫煙”に関して言えば発ガン率は2倍、肺ガンにかぎってみれば発ガン率は4.8倍という結果が出ています。それに比べ、たとえ累積で100㍉シーベルトの放射線を浴びたとしても、50%の発ガン率が50.5%になるだけです。国立がん研究センターの分析によれば、発ガンリスクは「受動喫煙や野菜不足とほぼ同程度」という結果も出ています。喫煙は2000㍉シーベルト以上の被曝に相当すると言われていますから、今回の被曝より遥かに危険性が高いということです。

 私たちは低レベルの放射線を気にするよりも、喫煙や肉食をやめる方がよほど重要だと考えています。喫煙をしたり、肉食をしている人が「原発は危険だからいらない!」と言うのは筋違いです。“タバコ”を全面廃止することの方が、ずっと国民のためになるのではないでしょうか。

 2人に1人がガンになるというガン大国の日本ですが、「何でガンになったのか」、その原因はいまだに解明されていません。ガンが生じるメカニズムは   発ガン物質が「活性酸素」を発生させ、それが人間の細胞を壊し、遺伝子の一部を傷つけることで突然変異を起こし“ガン細胞”になります。しかし人間の身体には免疫機能が備わっているため、そのほとんどは修復されたり、排泄されたりして正常な細胞に戻ります。人間は誰でも身体の中でこうした営みが繰り返し行われているのです。つまり「免疫機能が正常に働いていればガンにはならない。免疫機能の低下がガンにつながる」というわけです。その“発ガン物質”にあたるものが、喫煙や肉食やストレス、また先日WHO (世界保健機構) が発表した携帯電話の電磁波などです。もちろん放射線もその一つと言われていますから、少ないに越したことはないと思います。

 現在では世界の常識となっている「放射線は危険だ」という説は、実は80年前のマラー博士の実験結果から発しています。しかしこの研究には大きな問題点があります。研究はショウジョウバエに放射線を当て2代目、3代目を観察したというものですが、そもそもショウジョウバエには遺伝子の損傷を修復する機能がないのですから、観察結果をそのまま人間に当てはめるのは妥当ではないでしょう。

 よくわかっていないものに神経をとがらせるより、危険性が高いことが明らかな“発ガン物質”を抑制することの方が先決です。小さなことにこだわっていては、それこそ本末転倒になりかねません。「全身の健康レベルを上げ、自然治癒力・免疫能力を高める」  そうしたトータル的な視野で健康を考えることが一番大切だと思います。

 私たちは、避難生活や放射線への過度の心配がストレスを招いたり、悪い食事や運動不足につながり、かえって免疫機能を下げてしまうのではないか   その方が心配です。

 大半の日本人は、1960年代から行われた中国の大気圏での核実験により、すでにストロンチウムが骨の中に蓄積していると言われています。中国は1996年までの32年間に46回もの核実験を行っていますが、その際放出されたストロンチウムが “黄砂” と一緒に日本に飛来してきたのです。この深刻な事実を日本のメディアは一切取り上げませんでした。そのため国民は当たり前の抗議やデモさえしてきませんでした。

 今、日本中が微量の放射性物質や放射線におびえパニック状態に陥っていますが、それはまるで数年前の“ダイオキシン騒動”のようです。あの時もメディアが連日報道し、ダイオキシンを猛毒に仕立て上げましたが、真実は違っていました。今回の騒動もその“二の舞”になるのではないか  そんな気がしてなりません。

 放射能汚染の問題を受け、スイス・ドイツ・イタリアと“脱原発”に踏み切る国が相次ぎ、日本でもそうした意識が高まっています。皆さんも、「原発の是非」について考えていらっしゃるのではないでしょうか。最後に、その問題について少し述べたいと思います。

 私たちは「原発は、あってもなくてもどちらでもいい」と考えています。そもそも原子力エネルギーの最初の利用は、人間のエゴから“原子爆弾”という軍事目的のために始まりました。人間の幸福のために利用されるべき原子力が、“大量殺戮”という最悪の目的のために使われてしまったのです。その事実は、「人間が原子力を手にするのは早すぎた」ということを示しています。もっと人類が成長してから発見していれば、それは原発のような平和目的のためだけに利用されることになったはずです。

 ですから“原発自体”は、安全対策さえしっかりしていれば、決して悪いものではないと思います。現にこの数十年、人々は原発の恩恵を受けて便利な生活をしてきました。日本ではどの家庭にも大型冷凍冷蔵庫や洗濯機・テレビ・クーラーがあり、昔では考えられないような暮らしをしています。もし“原発”が廃止されることになれば、節電はむろん、計画停電や電気料金の値上げも余儀なくされることでしょう。当然、これまでのような快適な生活はできなくなります。電気の無駄づかいをやめて昔のような質素な生活に戻るだけですから、国民の多くがその覚悟を持って“脱原発”を支持するのであれば、それはとてもよいことだと思います。

 しかしこれまで贅沢を満喫してきた日本人が、本当に我慢できるでしょうか? 結局、代替エネルギーが確立するまでは、万全の対策を講じながら原発を使用するしかないかと思われます。それも悪いこととは言えませんから  「原発は、あってもなくてもどちらでもいい」ということになります。
 “脱原発”を唱える人が多くいますが、“原発”については単に危険だからという理由だけでなく、代替エネルギーの問題や節電による不自由な生活に耐える覚悟があるかどうかなど、よくよく考えて判断すべきであると思います。