愛犬タロー第3弾

 きょうは愛犬“タロー”の年に1度の“予防注射の日”。タローにとっては一番いやな1日の始まりです。しかし何も知らないタローは  「海につれていってくれるのかな?」と、久しぶりの車での外出に喜び勇んで座席に飛び乗りました。シッポをクルクル回して上機嫌。車の中を右に左に歩き回り、窓から半分顔を出し心地よい風と景色を堪能して、たいそうな満足です。

 ところが、たった5分のドライブで動物病院に到着……クレゾールの臭いがプ~ン。その瞬間、タローの脳裏に一年前の地獄のような体験がフラッシュバックして蘇ったのです(アレッ、もしかして?)。大あわてで車の隅に逃げ込んで身を縮め、へばりついてそこを動こうとしません。無理やり車の外に引き出すと、今度は一目散に逃げだそうとします。仕方なく強引に待合室に引きずっていくことになりました

 タローの心臓は早鐘のように打ち、後ろ脚はガタガタ震え、体全体が硬直しています。シッポといえば、情けないことこの上なく、後ろ脚の間にしっかり巻き込まれ、もはや影も形もありません。まるでシッポを切られた競争犬のようです。その姿を見ているだけで、こちらが恥ずかしくなってしまいます。そのとき隣にいたマルチーズは、体は小さくてもリラックスして “ワンワン”とタローの方を向いて元気に吠えていました。こちらはタローが逃げ出さないように押さえるのが精いっぱいです。

 しばらくして診察の順番が回ってきました。 すごく怖い顔をした男性の獣医さんが、とってもやさしい声で「モモタローちゃ~ん」と呼びます。実はタローの正式の名前は“モモタロウ”なのです! 保健所には「桃太郎」と登録されていて、犬小屋の表札も「桃太郎」となっています。元の飼い主のおじいさんが“マリちゃん”と名づけていたことは、以前お話しましたが、私たちがタローと名づける前、近所の人たちはタローを「モモちゃん」と呼んで、少女のようにかわいがっていました。そこで“モモちゃん”と“タロー”を合わせて「桃太郎」と命名こうしてやさしい少女は、悪い鬼を退治する勇ましい「桃太郎」に変身したのです。

 「モモタローちゃ~ん」と名前を呼ばれ、胸の鼓動はさらに高鳴り、今にも心臓が体の外へ飛び出してしまいそうです。意識はもうろう、目はうつろ……腰も立たないタローを抱きかかえて診察台に乗せました。すぐに採血と注射が始まり、診察はアッという間に終わりました。途中、看護師のお姉さんが「モモタローちゃんは、とてもおとなしいわね」と言ってくれました(とんでもありません……)。

 獣医さんから「ちょっと血が濃いですね。でも体質的なものなので大丈夫」と言われ、健康状態は良好でした。

 病院から出ると、タローは一目散に車に逃げ込みます。家に着くとやっとホッとし、ずっと隠れて見えなかったシッポは、いつの間にかまっすぐに伸びてクルクルと動き始めています。ご褒美にタローの大好きなサツマ芋を一切れあげると、その瞬間に30分前の地獄の体験はすっかり忘れ、いつもの“食い気だけのタロー”に戻ってしまいました。「喉もと過ぎればなんとやら」  食べ物ひとつもらっただけで、タローはストレスさえもすっかり忘れてしまいます。大きなストレスでアドレナリンが大量放出して、食欲がなくなっているはずなのに……。

 さらに芋をほしがるタローをつくづくと眺め、「食い気だけは日々、発達しても、ひとかけらの上品さも身につかない犬だ。まぁしょうがないか、飼い主に似るというから……」と、いつものようにあきらめの気持になるのでした。