平等院・石山寺

 ようやく、コロナによる行動規制が緩和されました。多くの方がこの日を待っていらっしゃったのではないでしょうか。4月25日、私たちも3年ぶりに京都へ出かけました。今回は感染防止のため、車で宇治の ‟平等院” と滋賀県大津市にある ‟石山寺” を訪ねました。

 ‟平等院” は1052年(平安時代後期)、時の関白“藤原頼通(ふじわらよりみち)”によって開かれ、翌年、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂(鳳凰堂)が建てられました。国宝に指定されていて、10円玉にその絵柄が刻印されていることでも有名です。1994年(平成6年)には、ユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

 早朝、豊橋を出発し、‟平等院” に向かいました。午前8時、駐車場に到着。拝観時間まで30分ほどあったので、宇治川沿いを少し歩いて平等院の入り口に向かいました。前日の雨もあがり新緑が朝日に輝いています。門の前には一番乗りを目指して、すでに数名の人たちが並んでいました。植込みの藤やツツジの花を眺め、ワクワクしながら開門を待ちました。 

 まもなく正門が開き、中に入るとよく手入れされた浄土庭園が広がっています。その中央に池に囲まれて浮かんでいるような ‟鳳凰堂” が建っていて、思わず歓声があがりました。朱色の壁や柱が水面に映って幻想的な雰囲気を醸し出しています。美しい建物の中には阿弥陀如来が祀られていて、池をはさんでその姿を拝むことができます。お堂の屋根の上には、名前の由来の1つにもなっている一対の鳳凰が輝いていました。

 鳳凰堂は、頼通が極楽浄土をイメージして造ったと言われ、その優美で均整のとれた姿にみんな、見とれていました。

 平等院は藤の花でも名高く、庭園の一角にある藤棚には一面に藤の花が咲き誇り、たくさんの人たちがカメラを構えていました。園内はいつの間にか多くの観光客や修学旅行生であふれていました。

 鳳凰堂の内部を見学する順番を待ちながら庭園をゆっくりと散策し、まるで平安時代にタイムスリップしたような不思議な感覚に浸りました。

 お堂に入ると、大きな ‟阿弥陀如来” が安置され、美しい後背を背負い穏やかな表情で私たちを見下ろしています。壁の上部には、阿弥陀さまをとり囲むようにさまざまなポーズをした26体の‟雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)” が飾られています。元々52体あったそうですが、半分は平等院の宝物などを展示する ‟鳳翔館” に収められています。

 菩薩たちは阿弥陀如来を称える仏さまで、笛を吹いたり、琴を奏でたり、羽衣をまとって踊ったりと、一つとして同じ像はありません。どの菩薩も雲に乗って楽しそうに生き生きと表現されています。

 ガイドさんの話によると、現在は当時の色彩がわずかに残るだけですが、造られた時にはお堂の天井や柱、扉にも極彩色の絵が描かれていたのだとか。当時は、阿弥陀如来に死後の救いを求める浄土信仰が浸透し、皇族や貴族などは「来世では極楽浄土に生まれ変わりたい!」と願って寺院を建立しました。色鮮やかだった当時のお堂を想像し、死後の幸せを願った平安の人々に思いを馳せました。きっと、「こんなに楽しそうな菩薩さまに迎えられて、極楽に行けるなら幸せ!」と、思ったのではないでしょうか……。

 その後、隣接する ‟鳳翔館” を見学し、平等院を後にしました。宇治川の中州で昼食をとり、対岸にある ‟宇治上神社(うじかみじんじゃ)” へ向かいました。宇治上神社は平等院の鎮守のために建てられたもので、拝殿と本殿が緑の中に静かに佇んでいます。神社としては日本最古のもので、ここも国宝と世界遺産になっています。宇治川を眺めながら歩き、平等院の駐車場に戻りました。

 平等院から20分ほど車を走らせ、‟石山寺” に到着。ここは、「源氏物語」を書いた ‟紫式部” ゆかりの寺として有名です。山門をくぐると、両脇に朱色のキリシマツツジとその上を覆うように新緑のモミジが続き、そのコントラストにみんな、目を奪われました。さらに進むと、本堂の前にはドッシリとした巨岩があり、「境内に、こんな大きな岩があるなんて!」と、驚きの声があがりました。これは硅灰石(けいかいせき)という石で、寺の名前の由来にもなっています。

 石山寺は京の都から近く、‟石山詣(いしやまもうで)” として貴族の女性たちに人気の場所でした。紫式部も訪れ、「源氏物語」の着想を得たと伝えられています。雅な女性たちのことを考えながら、木々に包まれた境内を巡りました。

 今回の旅は、平安時代を生きた貴族たちにゆかりのあった場所を巡りました。死後の極楽浄土をひたすら願った当時の人たちの思いに触れることができました。現代では、死後の世界を信じていない人がほとんどですが、死後の世界を信じ、そこでの幸せを願っていた平安時代の人々の純粋さを改めて感じました。死後の世界を信じていない現代人と平安時代の人々では、どちらが幸せなのでしょうか……。

京都②

 昨年に続いて今年も、健康とリフレッシュとちょっとだけ歴史の学びを兼ねて、みんなで京都を旅することにしました。今回は祇園・東山にある有名社寺  “清水寺”“高台寺”“八坂神社”“知恩院”、少し足を延ばして“南禅寺”“金地院”を巡ります。
 3月8日、午前8時、多くの人で賑わっている京都駅に降り立ちました。

 京都駅から路線バスに乗って、まずは“清水寺”に向かいます。車窓から京都の町並みが見え、気持ちがますます高まっていきます。“五条坂”で下車し、土産物店が並んでいる坂をゆっくりと登っていきます。すると正面に、華やかな朱色の仁王門が現れ、みんな「わあ!」と感動の声。傍らには濃いピンク色の梅の花が咲き、仁王門をさらに引き立たせていました。
 “清水寺”は京都観光の定番ですから、皆さんの中にも一度は訪れたことがあるという方が多いのではないでしょうか。“清水寺”は歴史が古く、778年に延鎮上人によって開山されたと伝えられています。一番の見どころは本堂の“清水の舞台”、名前の由来となった霊水“音羽の滝”も有名です。

 境内に入っていくと鮮やかな朱色の三重塔が現れ、思わず「きれいね~」と感嘆の声が上がりました。“清水の舞台”は工事中で少し残念でしたが、舞台の上から雪をかぶった“愛宕山(あたごさん)”が見えました。少し歩いていくと、今度は京都の町が一望でき、古い寺院と近代的な建物が入り混じった景色は、京都の特長をよく表していました。
 3本の筧(かけひ)から滝のように清水が落ちている“音羽の滝”にくると、「そうそう、ここに来たわ」と昔を懐かしむ声。庭園には白いアセビの花が満開で、その中にピンク色の花があり、みんな「珍しい!」と見つめていました。池を囲んだ日本庭園から眺める三重塔も素晴らしく、「清水寺がこんなに華やかなお寺だったなんて、イメージが一新したわ」という声が聞こえてきました。

 清水寺を出ると、辺りは観光客や修学旅行生でいっぱい。次は“高台寺”を目指して、土産物店が並ぶ三年坂と二年坂を下っていきます。店には、京都ならではのカラフルな扇子や小物が飾られていて、みんな目を輝かせていました。石畳みの道の両側には古風な佇まいの店が連なり、京都らしい風情に浸りながら歩いていきます。すると法観寺の“八坂の塔”の頭が見えてきました。全容が現れると、歴史の重みを感じさせる五重塔を見上げて、みんな「すごい!」と感激。

 9時45分、“高台寺”に到着。高台寺は、豊臣秀吉の正室である北政所(ねね) が秀吉の菩提を弔うために建立した寺院です。見どころは、国の史跡・名勝に指定されている庭園や、秀吉とねねの木像が安置されている霊屋(おたまや)、伏見城から移築された2つの茶室など、数々の重要文化財があります。

 庭園には円錐形に盛られた白砂が左右に2つ並んでいて、これは魔除けの意味があり、大事なお客を迎える時に作るそうです。庭園は江戸前期の茶人であり、造園家でもある“小堀遠州”の作で、趣のある庭を眺めていると、自然と心が落ち着いていくのを感じました。

 霊屋には秀吉とねねの木像が祀られていて、ねねの像を拝んではみんな「美しい顔ね」と呟きました。霊屋を出て少し上がった所に千利休の意匠による茶室、“傘亭”と“時雨亭”があります。派手さは全くなく、かやぶきの素朴な茶室に利休の人柄が伝わってくるようでした。高台寺には各所にガイドさんがいて、丁寧に説明してくれました。高台寺を後にし、次は“八坂神社”を目指します。

 “八坂神社”は、全国にある八坂神社の総本社で、地元の人々から「祇園さん」とか「八坂さん」と呼ばれて親しまれています。ここは、境内に美容と縁結びにまつわるパワースポットがあることで女性客に大人気、着物を着た若い女性たちで賑わっていました。参道を進んでいくと、祇園造りと呼ばれる独特な屋根を構えた本殿が見えてきます。その横には白い提灯がびっしりと飾られた舞殿があり、朱色の本殿と黒い舞殿が対照的で、とてもきれいでした。

 八坂神社を出ると、隣は“円山公園”です。円山公園は、中央に植えられた大きな“祇園枝垂桜”が有名ですが、花芽はまだ固く閉じていました。園内には、京都で命を落とした幕末の志士、坂本竜馬と中岡慎太郎の像が建てられています。いろいろな木が植えられていて、それを眺めながら早めの昼食を摂りました。

 円山公園を出ると、すぐに“知恩院”の三門が見えてきます。黒くて重厚な三門に、みんな「立派ね~」と感動の声。三門の向こうには石段が続いています。“男坂”と呼ばれている石段は一段一段が大きく、息を切らして登っていきます。後ろを振り返ると、木々の鮮やかな緑が黒い三門の美しさをさらに際立たせていました。
 “知恩院”は浄土宗の総本山、開祖である法然上人が祀られています。知恩院も、法然上人御堂や大鐘楼(だいしょうろう)、方丈庭園など見どころがいっぱいあります。“大鐘楼”は、年末恒例の『ゆく年くる年』の中で、僧侶が全身を使って撞く除夜の鐘としてよく知られています。高さ3.3m、口径2.8m、初めて見る実物は想像以上に大きく、みんなびっくり!

 法然上人御堂には鴬張りの廊下があり、その上を歩くと「キュッキュッ」とかわいい音が聞こえてきます。よく手入れされた方丈庭園はとても美しく、石を阿弥陀様に、丸く刈り込んだ木を雲に見立てて阿弥陀仏の来迎を表現した浄土庭園が印象的でした。

 12時10分、“知恩院”を後にし、次は少し足を延ばして“南禅寺”まで歩いていきます。

 30分ほど歩くと、“南禅寺”に到着。堂々とした三門は、知恩院の三門・東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられています。“南禅寺”は、臨済宗南禅寺派大本山の寺院で、開基は亀山法皇、日本最初の勅願禅寺です。

 三門は、歌舞伎の演目の中で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな!」という名ゼリフを発した舞台として名高く、私たちも三門に上ってみることにしました。古い木の階段を上っていくと案の定、京都の町が一望できます。遠くに「大」と書かれた大文字山を見つけ、みんな感激しました。(*三門は、1447年に焼失して1628年に再建されたもので、実際には石川五右衛門の時代にはありませんでした。)

 三門を下りて境内を歩いていると、禅寺にはとても不釣り合いなレンガ造りの洋風の建築物が現れます。これは明治維新後に造られた“琵琶湖疎水水路閣”、新しい時代の幕開けの時期に当時の人々がエネルギーを結集して作り上げたもので、その意気込みが感じられました。

 南禅寺を出て、すぐ隣にある別院“金地院”を訪れました。ここは特別名勝に指定されている“鶴亀の庭園”が有名です。この庭園も“小堀遠州”の作で、江戸初期の枯山水を代表する庭と言われています。白砂で砂紋を描き、石を組んで作られた鶴島と亀島が左右に向かい合っています。
 園内には青々とした常緑樹のみが植えられていて、これは徳川家の繁栄を表しているそうです。苔がまるで緑の絨毯を敷き詰めたように生えていて、思わずため息が出るほど。日本庭園の美をたっぷりと堪能しました。

 14時、予定していた日程を無事終え、タクシーで京都駅に向かいました。

 今回は、名勝に指定されている庭園がとても印象的で、脈々と受け継がれてきた伝統の美を心ゆくまで味わうことができました。2度目の京都も大満足、巡った名所を思い出しては「やっぱり京都はいいわね~」と、みんなますます京都が好きになりました。